このお手紙は下記に該当する方及びそのご家族に向けて書かれています。

・不登校、引きこもりの方

・発達障がいのため生きづらさを抱えている方

・現状及び将来に何らかの不安や心配を抱えている方

・家族関係、人間関係で悩んでいる方

これらに該当する方は、よろしければ15分ほどお時間をとっていただいて、引き続きこのお手紙をご覧ください。

先ほどの女性の事情と、この講座の内容について、もう少し詳しくお伝えさせていただきます。




それは、彼女のお子さんが高校2年のときでした。
3学期が始まって、しばらく経ってからのこと。

彼女が夕方仕事から帰ると、お子さんの様子が明らかに普段と違っていました。
リビングのこたつに座ってジッとうつむいていて、声をかけても禄に返事もなくうなずくだけ。
そうこうしているうちに、不自然にその場に横たわってしまいました。
その日はただ体調が悪いだけかと思っていたのですが、
翌日以降、お子さんは一度も登校できないまま、高校を中退しました。

理由は分かりませんでした。
本人は何も語ろうとせず、担任の先生に尋ねても特に思い当たる節はないとのことでした。
彼女自身にも、家庭内のことも含めて、特に心当たりはありませんでした。

お子さんは当時県内でも有数の進学校に通っており、成績も優秀で、友人とのトラブルなども全く聞いたことがありませんでした。
小・中学校のときを振り返っても、成績や友人との関係も、彼女や担任の目から見て問題はありませんでした。
お子さんの友人の保護者からも評判が良く、頻繁に感謝の言葉をいただいていました。

ただ、お子さんは中学の後半あたりで、若干行き渋りがありました。
高1はほぼ皆勤で楽しそうに通っていたものの、高2の夏休みに入る前から再び行き渋りが始まりました。
でも、まさか完全に不登校になってしまうとは、彼女は夢にも思っていませんでした。

『この子の将来はどうなってしまうのか』

当時の彼女はかろうじて仕事には通えていたものの、筆記用具を持つ手が震えてまともに字が書けないほど、不安で押しつぶされそうでした。
そして多忙な仕事の合間を縫って、スクールカウンセラーや民間のカウンセラーへ相談していましたが、
お子さん自身がカウンセリングを受けなければ意味がないと考え、必死に同行を促していました。
ですが、お子さんは全く行こうとしませんでした。
その一方で、このとき彼女の頭には何故か、病院を受診させるという考えはありませんでした。
病院に通わなければならないほどのことではないと思いたかったのでしょう。
ですが周囲に促されて、不登校になって数ヶ月後、お子さんの承諾も得られたため、心療内科を受診することができました。
そこで初めて、軽度の自閉症スペクトラム、発達凸凹との診断を受けました。

彼女は診断結果について説明を受けたとき、驚きはしたものの、
『ああ、そうだったのか・・・』
と、妙に納得する気持ちもありました。

幼少期の頃を振り返ると、お子さんは言葉も早く、3歳になる前にはひらがなや数字もほぼ読むことができました。
ですが、少々こだわりが強いところや、嫌なことへの強い拒否反応、人と合わせようとしないことなどが多々あり、
彼女は育てにくさを感じていました。
あるときは、保育園に登園するときに、彼女が先に玄関外の階段を降りたのが気に入らなくて、「今日は保育園に行かない」と大泣きしたり・・・。
またあるときは、おもちゃ売り場で欲しいモノがあって座り込んだとき、一般的には「もう帰るよ」と親御さんがその場を去るそぶりをみせると、お子さんはあきらめて後追いすると思います。ですが、彼女のお子さんはテコでも動こうとせず、むしろ彼女に戻ってくるように大声で叫ぶので、無理矢理抱きかかえて帰るしかありませんでした。
当時、保健所や病院での乳幼児検診等でも指摘も受けたことはなかったので、それが発達障がいゆえのこととは思いもよらず、凸凹の状態に気づけなかった己の認識不足を痛感しました。

それからお子さんは医師や公的な団体の支援を受けて徐々に元気を取り戻し、高卒認定に合格して通信制の大学に入り、アルバイトも始めました。
これで何とか立ち直ってくれれば・・・と彼女が思っていたのも束の間。
半年ほどで、お子さんはアルバイトに通えなくなりました。
そして同じ頃に病院や支援団体にも通えず、授業の履修も滞るようになり、更にその半年後から昼夜逆転の引きこもり生活になってしまいました。

何故そうなってしまったのか、こちらも直接の理由は分かりませんでした。
本人からも理由らしきことが語られることはありませんでした。
このときも病院への受診も促しましたが、数回通院したきり行こうとしなくなりました。

彼女が夜中にトイレに立つときも、朝の出勤の時間になっても、お子さんの部屋から薄明かりが漏れています。
『一体いつ寝ているのか』『部屋で何をしているのか』『いつまでこんな状態が続くのだろうか』
そんなことばかり気になって彼女自身、夜もなかなか眠れず、徐々に体調も崩れていました。

『このままでは私まで倒れてしまうかもしれない』

そこで彼女はある決意をしました。
「ある究極の解決方法」を、「本当の意味で」実践しようと思ったのです。

「本当の意味で」としたのは、実は彼女は、その方法をもっと前の段階で知っていて、実践しているつもりでした。
ですが、一般的にはその方法を「解決」と呼ぶことはほとんどありません。
なので、それを本当に「解決」としてしまっていいのか、心の奥底で不安を感じていたのです。

お子さんが不登校になったあたりから、彼女は解決の糸口を探そうと、カウンセラー等への相談を始め、
手当たり次第、書籍やオンラインで不登校・引きこもり、そして、診断後は発達障がいについても学んでいました。
それぞれの文言は異なれど、これらの教えのほとんどに「究極の解決方法」が潜んでいました。

彼女は今ではこの方法を完璧に実践することで100%解決になると信じていますし、
それまでもこれらの教えを理解して、実践しているつもりでした。
ですが、お子さんの状況が昼夜逆転の引きこもりにまで発展したときに、うわべだけの実践しかできていなかったことに気づいたのです。

なぜなら、それを「本当の意味で」実践するためには、その前段階として「あるもの」を変えていく必要があるのですが、
彼女にはそれができていなかったのです。
その「あるもの」とは・・・。


ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
初めまして、幸来(サチコ)と申します。
ちなみに本名は「幸子」ですが、このお手紙を目にされた貴方に幸せが来ますようにとの願いを込めて、
あえて通称を使ってご案内させていただいております。
ご了承いただければ幸いです。

現在、私は通信制高校の非常勤講師と、児童発達支援・放課後等デイサービスの指導員をしています。
未就学児から高校生まで、幅広い年代層の子どもたちと楽しく過ごしております。

以前は、ある自治体の行政事務に30年ほど携わっておりました。
その職を辞して、私が現在の職に就いたきっかけは、私と同じような状況にある方々のお役に立てる仕事に就きたいを思ったからです。
そうです。前述のお話は、実は私自身の物語なのです。

私は特殊な家庭環境で育ち、幼い頃から何かしら同年代の子と自分は違うのだという認識と、「普通の家庭」への憧れがありました。
ですから、子どもができたときに、普通の親ならこうするのでは・・・という気持ちで、
今から思えば過干渉といえる関わりをしてきたと思います。
また、仕事と家事に追われていて、時間にも心にも余裕がなかったせいもあるかと思います。
手も口も出さなくていい場面で必要以上に干渉してしまい、その一方で子どもの気持ちに寄り添うことに疎かになっていました。

特に思春期に入れば、親に何も話さないことは当たり前だと思っていて、
子どもがちゃんとした意思表示すらほとんどしなくなっていたことに気づいていませんでした。
その結果、最も望んでいなかった状況になってしまったのだと思います。

そもそも、私が望んでいた「普通」とは何なのか。
そのことについてあまり深く考えないまま日々を過ごしてきましたが、
一言で言うなら「問題のない状態」という表現が一番しっくりくるのではないでしょうか。
そして子どもにも「問題」が起きないようにすることが「親の責任」と考えていたのです。
あわよくば普通以上、すなわち「いい人」「いい親」になりたい、
そう周りから見られたいという欲求に基づいて行動してきたのです。

ですが、ここでまた一つ疑問が浮かぶのではないでしょうか。
「問題」とは何なのか。
抽象的ではありますが、それは自分の心がざわめく事象全てのことです。
そして、その事象が起こると何故心がざわめくのか、
それは「あるもの」すなわち「観念」があるからなのです。

前述した「手当たり次第」の教えのひとつに、「観念」の法則というものがありました。
人が誰しも持っている「こうあるべき」という考え方や物事の捉え方、すなわち「観念」を変えていくことで、「究極の解決方法」が手に入るのです。

それを系統立てて分かりやすく教えていただき、心の底からその解決方法を信じられるようになったのは、
認知心理学の認定国際講師で僧侶でもある稲津秀樹さんのおかげでした。
観念があるがゆえに「究極の解決方法」を信じ切れていなかった私の迷いは、稲津さんの教えを学ぶことで断ち切っていくことができました。



ここでお尋ねします。
あなたは今、何らかの「問題」を抱えてみえるからこそ、このお手紙をご覧いただいていることと思いますが、
その特定の「問題」さえ無くなれば、全てが解決するとお思いですか。

「問題」の根本的原因は「観念」にあります。
私のように、観念を変えて「究極の解決方法」を実践しない限り、また別の「問題」が起こるかもしれません。
それこそ、今、このお手紙をご覧になっているあなたに、次々と「問題」が起こっているのではありませんか。

私と一緒に「究極の解決方法」を学ぶことで、これまでたくさん抱えていたあなたの「不安」や「心配」も解消され、
安心感に満ちた日常を送ることができることでしょう。

心配とは「心」を「配る」と書きます。
ご家族の方は、お子さんに対して「不安」な「心」をそのままぶつけてしまうこともあるでしょう。
憤り、困惑、よかれと思ってかける励ましやアドバイスの言葉ですら、実は不安な心の表れなのです。
そのように周りから不安な心ばかり配られていては、お子さんご本人の心にも不安が溜まっていきます。
一見、事態が好転したかに見えるようなことがあっても、不安の蓄積が解消されない限り、また同じことを繰り返すこととなります。
そして、その状況を見て、周囲は更に不安になるという悪循環が生まれるのです。

ちなみに、この問題をご本人の心だけが原因と捉えるのも、あながち間違いではありません。
ご家族だけでなく、ご本人も、観念があるがゆえにご自分に「不安」な「心」を配り続けているのです。
ですが、もしご本人に不安の蓄積を解消できる力が備わっているのならば、もしくは「不安」な「心」を配るのを止めることができるなら、
そもそもあなたはこのお手紙をご覧になっていないはずです。

私と一緒にこの講座で学ぶことで、
「不安(ふあん)」ではなく「FUN(ファン:楽しさ)」を自分にも周りにも配ることができる、
そんな人生を送りませんか。


この講座以外にも、一般的には通院やカウンセリングなど、様々な解決法があるかと思います。
これらの方法は対面で直接相談できるというメリットはありますが、特定の時間に特定の場所に出向く必要がありますし、
回数を重ねるほど費用も増していきます。
この講座はネット環境さえあれば、いつでもどこでも、ただひたすら、お時間の許す限り、繰り返し何度も受講していただくことが可能です。
まとまったお時間の取れない方、外出が難しい方でも学んでいただけます。
また、交通費など、受講以外の費用もかかりません。
受講料自体も安価で定額に設定されていますので、原則追加費用は発生しません。

関連書籍なども沢山発行されていますが、これらは情報を一方的に受け取るのみで、不明な点などを直接質問する機会はほとんどないと思います。
また、特に私のように活字自体が苦手な方は、読むだけでもお時間がかかるのではないでしょうか。
私の講座では、1回あたり15~30分程度の短時間の動画で学べます。
受講の内容についてご不明な点などがある場合は、講座のサイトの中でご質問いただく場を設けておりますので、ご安心ください。


ここまで長々とお読みいただいてありがとうございました。

ここから先は、これまでのお手紙をお読みいただいて、

この講座に関心を持っていただいた方や、真剣に受講を検討されている方のみお進みください。




さて、これから具体的な講座の内容と、「究極の解決方法」とは何なのか、お伝えしたいと思います。

「究極の解決方法」、それは「問題」を「問題」と捉えないように観念を変えることです。

そのために、この講座では、主に観念や受容に関することと併せて、発達障がい、不登校・引きこもりに関することや、
「問題」が起こるメカニズムやそれを解消するワークなどを学んでいただくことができます。
この講座が少しでもあなたのお役に立てると幸いです。

「問題」を「問題」として捉えてしまうのは、これまでのあなたの人生でそのような「観念」を育んできたからです。

もちろん、これは誰しも当たり前のことなので、そのことが悪いと申し上げているわけではありません。

例えば、私のように、普通の人生とは、普通に学校へ行って、就職して、自分の食い扶持は自分で稼ぐようになること
そして自分がそのようになるのはもちろんのこと、
子どももそのように育てて、ちゃんと自立させるのが親の責任だと、こう考える方が大半でしょう。

普段の生活でも、外へ出て明るく元気に過ごすことが「是」で、家の中にこもり暗く不健康に過ごすことは「非(問題)」であると考えられています。
この「非」とされていることを「非」と捉えずに、その状態をあるがまま受け入れること、
ひいては「是」「非」すら関係なくなるほど受容することこそが「究極の解決方法」なのです。

私はこのことを頭の中では理解しつつも、「非」の状態を「非」と捉えることから抜け出せずにいました。
それは受容することの本当の意味を理解していなかったからです。
ここでご注意いただきたいのは、受容とは「非」を「是」として捉えることではありません。
「非」を「非」として捉えないこと、ただそれだけが受容なのです。
ですが、私は受容を「是」として捉えることのように感じていて、
「是」として捉えてしまったら、ずっとこのままの状態が続くのではないかと思い、怖かったのです。

このまま「非」とされていることが続くのを怖いと思ってしまう感情、それが芽生える原因も「観念」なのです。
ですが自分がそう感じようが感じまいが、子どもの「非」とされる状況を変えることはできませんでした。
むしろ「非」と感じれば感じるほどに、そのような「心」を相手に「配」ってしまい、「非」とされる現実も強化されていくことに気付いたのです。

ならばいっそのこと、清水の舞台から飛び降りるつもりで、
子どもの「非」の状態を「非」と感じないように自分が変われば、不安や恐れは解消されます。
それにより「非」とされる状況がどうなろうとも、その状況に自分が振り回されることなく、
完璧に実践できれば100%の解決に至るのだということが骨身に染みて分かったのです。

そもそも「普通」とされるものの基準も、時代や環境によって変わっていきます。
現代の一般的な通学、通勤のライフスタイルも、我が国で言えば明治の産業革命以降に生まれたものです。
それまでは家庭の労働力を担い、ろくに学校に通わせてもらえない子どもも大勢いました。
決まった時間に出勤して労働力を提供する現代のような働き方も、一部(例えば役人など)に限られていました。
子どもの自立も親だけの責任ではありません。
親を早くに亡くした子どもが自立できないわけでもありません。
それこそ幼いうちから子どもが奉公に出されていた時代も、それは親の子育てに対する責任感からきたものではありませんでした。
人間以外の他の動物でも、一定の期間しか親の世話は受けられず、自分で餌を取れようが取れまいが独り立ちを強いられます。

もちろん、これらの状況が良いと申し上げているわけでもありません。
人は社会や環境によって「是」「非」、すなわち「観念」を植え付けられているのだとご理解いただきたいだけです。
その植え付けをしてくる最たるものが、「家族」「学校」「会社」など、その方が属しているコミュニティです。
そしてそれらの中で、唯一変更が効かないもの、それが「家族」、特に「親」なのです。

ですから、ご本人を生きづらさや悩みなどから解放して、本当の意味での自立を目指すのであれば、
「家族」も精神的に自立することが重要となるのです。
そして、そのためにはご家族も観念を変え、目の前の「非」とされるような状況すら受容していくことが大切なのです。

更にいえば、目の前の「非」はご家族の方ご自身の「非」でもあります。
どういう意味かと申しますと、他者を「非」と評価してしまうのは、
あなたご自身がもし同じ状態になったら、それを受け入れることができないからです。
どんな些細なことでもいいのです。
まずはあなたが、自分のこういうところが「問題」だと感じているところがあれば、
それを「問題」ではないと受け入れることから始めてみませんか。

少し話が変わりますが、あなたは「ウォーリーを探せ!」という絵本をご存じですか。
たくさんの人が書かれた絵の中から、眼鏡をかけて赤い縞模様の服を着たたった1人の「ウォーリー」というキャラクターを探すというものです。

あなたの頭の中には、絵本とは逆に、探す必要のないくらいにたくさんのWorry(ウォーリー)(不安・心配)が存在していませんか。


ですが、このお手紙を読んでいただいているあなたには、こうお伝えしたいです。
「ウォーリーを探さないでください」
それが受容するということだと、1人でも多くの方にお気づきいただきたいと心から願っております。


とはいえ、中には自分には何の問題もないと感じてみえる方もいるかもしれません。
このような講座をわざわざ受講してまで、自分が変わる必要があるのだろうか。
自分が変わったところで、相手が変わらなければ何の意味もないのではないか。
そのように、お考えになるのも当然です。

私も最初はそうでした。
問題は他者にあり、他者の問題を無くせば解決すると。

でも他者を変えることは誰にもできません。
何かしらの影響を受けて変わることはあるかもしれませんが、どのように変わるのかも誰にも保証できないことです。

そして、これまで「問題」とされることが起きるような影響を受けてきたからこそ、「問題」がいつまでも残されているのではないでしょうか。

先ほど申し上げたように、相手が変わる保証などどこにもありません。
ですが、「問題」と感じている自分を変えることで、同じことを見ていても見える世界が変わってきます。

「安心」すなわち「安らかな心」を、どのようなときでも配れる自分になること。
そして、その心を最初に配る相手先は「自分」なのです。
このことを学んでいただくことに、この講座の意義があるのです。


私も以前は強い不安感から、軽いパニック障害のような症状が起きて勤務中に救急車で運ばれたり、
長期にわたって胃腸の調子を崩したり、夜になかなか寝付けないといったこともありましたが、今は本当に心穏やかな日常を過ごしています。
うわべだけの実践をしていたときは、趣味や推し活にも心のどこかで後ろめたさを感じていたのですが、今では心の底から楽しめていますし、
例えば1杯のお茶を飲む時間が持てることなど、何気ない日常の出来事に感謝の心が持てるようになりました。
序盤の方で私自身、特殊な家庭環境に育ったと書かせていただきましたが、その家庭環境も実はとても有り難く素晴らしいものだったと気付くことができました。

子どもの現状も劇的な変化はありませんが、少しずつ、以前の私の観念でみたときに「是」と思われる方向に変わってきていますし、
例え変わらなくても大丈夫なのだと思えるようになりました。

「観念」はあなたやご家族の中で長年育てられたものなので、
申し訳ないですが、受講したことで直ぐに劇的に変わるということは保証できません。
なにぶん心のことですので、効果の表われ方も人それぞれです。

これまでのお手紙の内容でお分かりでしょうが、私もこの「究極の解決方法」を習得するまで、かなりの期間を要しました。
ですが、学ばなければ確実にこのままの状態は続きます。
むしろ私のように状況が悪化したり、2度3度と「問題」と思われるようなことが起きるかもしれません。

この講座を一生の学びだと思って受講していただければ幸いです。
万が一講座の内容にご満足いただけなければ、お申し込みから30日以内のお申し出に限り解約が可能ですので、ご安心ください。


ここまで本当に長々とお読みいただきありがとうございました。
これまでのお手紙をお読みいただき、真剣に学びたいと思っていただいた方のみ、お申し込みください。

《講座の概要及び料金》
学んでいただく講座の概要は次のとおりです。

①不登校、引きこもり、発達障害を「問題」と捉えてしまうしくみ
②ご自身やご家族に対する捉え方(観念)
③観念の法則に関する知識と実践
④自己受容・自己肯定に関する知識と実践
⑤本当の意味での自立とは

上記の内容について、1回当たり15~25分程度の講座を動画配信により受講していただきます。
配信数及び配信期間は月々7~9回分を6ヶ月間となります。
週2回程度を目安に、お時間のあるときにご自身のペースで受講していただければ大丈夫です。
料金は月額9,800円(税込み)×6ヶ月分となります。
なお、最後までご受講いただいた方には、特典の動画を7ヶ月目に無料で配信いたします。

1度配信された講座は、特典分も含めて、退会されない限りは、原則、半永久的に視聴可能です。ただし、災害やシステム上のトラブルなど、不測の事態が生じたときは視聴できない場合があることを予めご了承ください。このような事態に備えて、各講座のページから、講座のテキストもダウンロード可能な状態にしますので、オフラインでの学習などにもご活用ください。